トウキョウトガリネズミの寝姿(2)

トウキョウトガリネズミの寝姿(1)の写真から、イヌやネコが丸まって寝ている様子と基本的に変わらないということがわかります。実はあのようなところに寝るのは暑いからです。トウキョウトガリネズミは北海道に生息するトガリネズミ4種の中でも特に暑さに弱く、気温(室温)が25℃を超えると草の中から出てきて、草の上や途中で暑さをしのいでいると思われる行動をよくとります。下の写真の左側の白いものは保冷剤を入れた袋です。この夏はこのように保冷剤の近くで涼んでいました。

 

 

しかし、下のような寝姿はこれまで10年近く飼育していますが、今年初めて見ました。最初死んでいると思いましたが、よく見るとお腹が動いていたのでびっくりしました。すべての個体が、こんな寝方をしているとはとても思えません。

飼育して良くみられる寝姿は、以下のような状態です。ぶら下がっていたり、草の間にはまっていたりします。ぶら下がっているのに本当に寝ているのかと思いますが、時々熟睡してしまい草から落ちることがあります。観察していると目の前で本当に油断して前足の力抜けた感じで落ちるのです。そして、慌てた様子で移動します。その行動はいつもの草から落ちる動作を明らかに異なります。いずれにしても器用な寝方をしているものだと関心します。

トウキョウトガリネズミの寝姿(1)

現在北大博物館で行っている北海道のトガリネズミ展では、なるべく多くの人に生きたトガリネズミの姿を見てもらえるよう、昨年よりいくつかの工夫を加えています。しかし、それでもやはり見ていただけない方も多くいらっしゃいます。見られない多くの方は、「寝ているのかね・・。残念ね。」と言われます。

では、どんな風に寝ているかというと、実際は草の中などで隠れて寝ているのでほとんどはわかりませんが、観察していると寝ている姿が見られることがあります。まずは、代表的な寝姿を見てください。細かい解説は寝姿(2)で・・。

 

北海道のトガリネズミ展を北大博物館で開催中

10月12日から11月11日まで、北海道大学博物館で「北海道のトガリネズミ展」を開催しています。

https://www.museum.hokudai.ac.jp/display/special/13911/

 

昨年のトウキョウトガリネズミ展につづき、北大低温研の大舘先生と共同で今年は北海道に生息するトガリネズミ4種の生体展示を行っています。トガリネズミ4種の生体展示は、国内初(もちろん世界初のはず)の展示です。

これまで4種の展示がされなかったのは、トウキョウトガリネズミが近年まで生きて捕獲することが困難であったこと、また、同時に4種を確実に捕獲し、長期間飼育するという技術も十分確立していなかったからです。

今回は昨年のトウキョウトガリネズミ展より、見てもらえるチャンスが増えるように展示にも工夫をしましたので、ぜひ見に来てください。

展示期間中は、大舘先生や私が解説していることもありますが、常にいるわけでないので、見所や裏話などを紹介していきますので、参考にして見ていただければと思います。

今年も捕獲調査に行ってきました

    8月下旬に9日間かけて、道東の白糠町、浜中町の嶮暮帰(けんぼっき)島などでトガリネズミの捕獲調査を行いました。嶮暮帰島は無人島で、畑正憲氏のムツゴロウの無人島記やどんべえ物語などで1970年代後半に有名になった島です。

   私が嶮暮帰島で初めて調査を行ったのは1999年で、今年で19年目、トウキョウトガリネズミの捕獲調査を本格的に始めたのは2003年からで、15年目になります。2005年からは多摩動物公園と共同で捕獲調査を行い、以来多摩動物公園でトウキョウトガリネズミの飼育展示をしています。今年も多摩動物公園の方と一緒に捕獲調査を行い、トウキョウトガリネズミ10頭、オオアシトガリネズミ9頭を捕獲しました。このうち、トウキョウトガリネズミ6頭とオオアシトガリネズミ8頭は多摩動物公園で飼育・展示するために東京へと旅立ちました。検疫や馴化などを経て、10月頃には今年捕された個体を見ることができると思います。私はトウキョウトガリネズミのみ3頭持ち帰り、他は放獣しました。現在自宅で飼育しています。

これから、今回の捕獲調査の内容や捕獲した個体の行動などを紹介していきます。

*捕獲及び飼育に関しては、関係機関の許可を得て行っています。(捕獲許可等なしに、野生動物の捕獲及び飼育することは禁じられています。)

 

最初の名前はホーカーヒメチ”ネズミ(3)

ヒメチ”ネズミからトガリネズミの変更であれば「ホーカーヒメチ”ネズミ」から「ホーカートガリネズミ」でも十分であったはずである。しかし、そうしなかったのは、人名を入れない新しいネーミングを求めたからと推察される。それは、トーマスヒメチ”ネズミをヒメトガリネズミに名称変更したことにも見てとれる。

当時トウキョウトガリネズミは1個体しか捕獲されておらず、模式標本は国内になかった。すわち情報は、岸田の哺乳類動物図解に書かれたものしかなったのである。したがって、和名を全く新しくつけるとすると地名、東京を選ばざるを得なかったということであろう。

そこで、YezoとYedoの間違いからトウキョウトガリネズミになったという通説に繋がるのであるが、これについては阿部永(1961)の論文が基になり、その後色々と要約されてYezoとYedoの間違いということに単純化されている。その部分を引用すると以下ようになっている。

「本種は極めて小形のトガリネズミで,1903年Hawker氏が江戸犬川に一頭を採集
しThomas(1907)が記載発表したものであるが,その後本邦では全く採集されず,し
かも東京附近に犬川なる地名のないことなどから疑問の多い種である。この頃は江戸が東京になって既に30年以上も経ているのでyedoと云うのは少しおかしいし、またかりにこれがyesoの間違いであるとしても、同様にそれも既に北海道と云われており,Thomasも同報告の中でHokkaidoと云う言葉を使っているので,これにもやはり難点がある。しかもThomasはInukawa,Yedo,HondoとHondoを入れている(これは後からつけ加えたのかも知れないが)ので益々むづかしい。なお北海道にもInukawaなる地名はないが,担振地方にあるmukawaの頭文字筆記体のmをlnと読み違えてのではないかとも考えられるがどうであろうか。結局この問題は採集者であるR. Mcd. Hawker氏の日本での足取りを知る以外に解決の方法はなさそうである。」

やはりいくら検討しても、最終的にはHawkerの日本での足取りが未だに解らないので結論はでない。しかし、上記に書かれている内容について色々と思いを巡らせてみたい。

 (引用文献)阿部永(1961) 北海道にて採集された稀種オヒキコウモリ及びトウキョウトガリネズミについて 哺乳動物学雑誌 vol2. no1:3-7.

 

 

 

最初の名前はホーカーヒメチ”ネズミ(2)

1924年に哺乳類動物図解が出版された時点では学名の変更はなかったので、本来は和名の変更の必要性も基本的にはなかった。では、なぜホーカーヒメチ”ネズミを変更したのであろうか?ヒントは哺乳類動物図解にある。まず忠実にトウキャウトガリネズミの項を引用すると以下のようになる。

トウキャウトガリネズミ(黒田長禮氏新稱) ホーカーヒメチ”ネズミ(黒田氏命名)                          學名 Sorex hawkeri Thomas,1905.             英名 Tokyo Brown-toothed Shrew.               本種は北米北方産の短毛型の系統に属するものならんも、東シベリア産の中間型未知なれば當分獨立の種とする(トーマス氏)。      尾は明らかに頭胴よりも短くして毛多く、夏毛にては端に穗を具ふ。 體の背部は淡き褐色を呈し體側と下部とは灰褐色にして下部は淡し。尾の上部は赭褐色、其の下部はむしろ淡し。齒の赤染の有様はSorex minutus の如し。                       測 定 性別 牡 頭胴 55.0(?) 尾 30.0 後足 9,0 耳ー 産地 東京府

岸田は「Thomasは当面この種と独立種とするとして発表したが、体の特徴や歯の赤染色の有様はSorex minutus (ヨーロッパヒメトガリネズミ)に似ているので独立種では無いかもしれない。」と記載している。しかし、学名を変更するまでの根拠を示すまでには至ったていないことから、本来和名を変更する必要性はない。

では、何が要因となったのかというと「ヒメチ“ネズミをトガリネズミに変更したい」と考えたからだと推察できる。当時においてもチ”ネズミ(属)(現在のジネズミ属)とトガリネズミ(属)の区別のポイントは、「トガリネズミの歯の先端は赤く、ジネズミの歯の先端は赤くない。大きさはトガリネズミの方が小さい」という点にある。したがって、チ”ネズミ属と区別するために、ヒメ(小さいという意味)をつけて現在のトガリネズミと同じ属を示すのに使われていた和名である。

岸田が哺乳類動物図解を出版した時期は、命名合戦とも言える学名も和名も新称を次々に発表していた時期にあたり、細分化が流行していた背景がある。この時期にヒメチ”ネズミという名称をトガリネズミという名称に統一しようとしていたのがこの図鑑の各所から読み取れる。ちなみに以下のように名称変更が記載されている。

ヒメチ”ネズミ→トガリネズミ、 エゾヒメチ”ネズミ→エゾトガリネズミ、トーマスヒメチ”ネズミ→ヒメトガリネズミなどである。

したがって、「ホーカーヒメチ”ネズミ」から「ホーカートガリネズミ」への改名でも十分に目的は達成されたはずである。しかし、そうしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の名前はホーカーヒメチ”ネズミ(1)

トウキョウトガリネズミの名前の由来を「産地名をYedoYezoの書き間違いによるもの」と単純に納得してしまうのは、木を見て森を見ずというのと同じで、本種の本当の魅力に出会えない要因である。実はこのような単純な解釈が、本種の生態解明を遅らせてきた要因になってきたと私は実感している。

そもそも学名も和名も曲がりなりにも、時の第一線の研究者が命名するものである。様々なことを考慮して命名している。間違ったとしても修正できるチャンスはいくらでもある。しかし、このような状態になったのは、それなりの理由と状況が存在したはずである。研究者にとって、どのような学名や和名を使用するかはとても重要なことである。それは研究者としてその種をどのように考えているかを宣言するものだからである。学名と和名の変遷の経緯を見ると本種がどのように扱われてきたのかが解るので、これを辿ってみたい。

まず対象としているのは、 現在 和名    チビトガリネズミ     学名 Sorex minutissimus      亜種名 トウキョウトガリネズミ  学名  Sorex minutissimus  hawkeri  とされている種であることを確認しておく。学名も和名も研究が進むと変化していくが、一定のルールによって行われている。このルールが解ったほうが理解しやすいので学名と和名の項を参照してほしい。

本種の和名は、1924年に出版された哺乳類動物図解(岸田久吉著)に「トウキャウトガリネズミ(黒田長禮氏新稱) ホーカーヒメチ”ネズミ(黒田氏命名)」と記載されたのが現在確認できる最初の書物である。

これは、1903年6月7日にR. M.  Hawker よって採取された雄の標本に基づいて、Thomasが1906年にSorex hawkeri と学名を記載発表したことに遡る。学名にhawkeri とつけたのは、採集者のHawker氏に敬意を表してつけられている。よって、最初の和名はこれをうけてホーカーヒメチ”ネズミと黒田長禮氏が命名したが、1924年に黒田氏がトウキャウトガリネズミという新称に変更し、岸田氏はそれを認めたことを示している。

はじめに

私は、2002年にトウキョウトガリネズミを同一地点で捕獲できる場所を偶然発見した。これまで同じ地点で再捕獲されたことがなかったことから、私はトウキョウトガリネズミの研究を始めることにした。

トウキョウトガリネズミは、1903年に発見されてから2001年までの98年間には46頭しか捕獲されておらず、生きて捕獲した記録があるのは1件のみで、同じ地点で再捕獲されたことはなかった。2002年から2017年までの15年間で、私たちのチームが捕獲したトウキョウトガリネズミは160個体を超え、約92%の個体を生きて捕獲し、私が直接飼育した個体数は40個体を超えた。

観察していると、彼らは喧嘩もするし、個体によって臆病だったり、大胆だったり、糞場にもこだわりがあり、食べ物の好き嫌いもある。そう、彼らは様々な個性をもった我々と同じ生きものだと実感できる。しかし、これまでに本種に関する一般的な情報は、体が小さいからという理由で、その多くは憶測で語られた内容が広まっていて、トウキョウトガリネズミを語るにはあまりにも残念である。よって、見たこと、判ったことを紹介していきたいと思う。

私はまだ彼らの子供を見ていない。あの小さな体から生まれてくる子は、どうなっているのかとても興味がある。いつになるかはわからないが、このサイトを維持している間にみなさんに紹介したいと願っている。

注)捕獲及び飼育には関係機関の許可を得て行っています。また、捕獲した個体の多数は放獣しており、飼育した個体は一部です。