東日本大震災の津波で得た希少種保護に関する教訓 その3

浜中町は、60年前のチリ沖地震で津波を被っています。霧多布湿原の中央に(海岸から1.5km程)朽ちた船があるのは、この津波で海から流されて来たからだと聞いています。すなわち、60年前には津波を被って一度リセットされましたが、それからの40年間で、海岸までトウキョウトガリネズミの生息域が拡大したことになります。以前の堤防は低く、人間も簡単に登り降りできるものでしたので、本種も霧多布湿原との往来は比較的簡単にできたのかもしれません。本来、高潮で波を被る可能性のある場所であることから、その生息地は何回も壊滅的な打撃を受けていたと推察されます。しかし、そこに本種の個体群が維持されていたということは、霧多布湿原から本種が何度も海岸まで移動して来たと考えるのが自然です。新しい堤防はかなり高く反っているため、本種が堤防を越えて海岸まで再び進出するのかは判りませんが、霧多布湿原に本種の個体群が存続し続ければ、再び海岸でも本種の生息地が形成される可能性があることになります。

以上のことから、私が教訓としているのは、「目先の生息地の保全だけを考えていたら、2つの重要なもの失う。」ということです。 それは、「住民の信頼と協力」 と「その希少種にとって、一番重要な生息地」ということです。

希少種を守るためには、住民の協力無しにはできません。さらに、状況によっては、住民にとって、不自由さや経済的影響を受け入れてもらわざるを得ないことも生じます。しかし、それを受け入れてもらえるのも信頼関係が成立したからこそです。したがって、保全を主張する側は、地域の状況をできるだけ考慮した上で、保全方法を提案する責任があると考えます。

トウキョウトガリネズミの研究をしていますと、「生息地の保護が必要ですよね。保護運動はしないのですか。」という趣旨の質問を度々されます。しかし、私はこれまで生息地の保護ということを前面に出して活動はしてきませんでした。それは、「希少種=守る必要がある=見つけた生息地を守れ」という、短絡的な思考では本当には守れないと考えているからです。それは、この教訓によるものです。

私は普段から環境アセスメントや地域づくりになどに関わっていますが、現状はかなりかけ離れています。その話については、別の機会にしたいと思います。

自然災害で命を失うのは、人間も野生生物も同じです。人間の命を守ることが、野生生物の命も守ることにも繋がるということも視野に入れて、環境保全は検討されることも重要だと考えます。私は、この一面も大切したいと思って活動しています。

改めて、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

東日本大震災の津波で得た希少種保護に関する教訓 その2

嵩上げ前の堤防とトウキョウトガリネズミの生息地

東日本大震災の津波から守ってくれたこの嵩上げした堤防の工事で、実は堤防内(海側)にあったトウキョウトガリネズミの生息地がすべて失われてしまいました。この場所は、本種を生きて捕獲できるきっかけになった場所です。細かい経緯は省略しますが、とにかく希少種である本種の生息地が破壊されるということで、新聞記事にしないかと言われたこともあったのですが、その時はとにかく記事にすることは良くないと思い、記事にしないように頼みました。その後も堤防工事で失われていく生息地を時々見ても他人に言うことはありませんでした。正直、当時は確固たる考えがあった訳でもなく、人命がかかっていることですので、なんとなく今回はその方が良いと思っただけでした。

避難所の対応は3日ほどで終了し、その後所属団体の方針もあり、5月には気仙沼に1週間程度のボランティア活動もさせていただきました。気仙沼は、本当に目を疑うような光景でしたし、陸前高田の状態はあまりにも想像を超えており、映画の世界みたいで、正直感情が全くわかない不思議な感じでした。その後、これらの状況が少しずつ自分の中で整理されてきたときに、突然ぞっとする気持ちに襲われました。

それは、もし堤防の嵩上げ工事に注文をつけて工事が遅れていたら、浜中町民にトウキョウトガリネズミの話をすることはもちろん、生息地の保全などと言っても絶対受け入れてもらえなくなってしまったでしょう。引いては野生生物の保護という行為自体も拒否されてしまうことになっていたかもしれないと思うと正直ぞっとしました。

どちらにしても、堤防工事で失われたトウキョウトガリネズミの生息地は津波でも失われたでしょう。また、津波は堤防で跳ね返されたため、本来あり得ないほどの範囲で津波が嶮暮帰島を襲い、本種の生息地にも大きな影響を与えました。しかし、嶮暮帰島の生息個体数は徐々に回復傾向にあると推察され、壊滅的な打撃を受けたわけではありませんでした。そして、捕獲は希ですが、霧多布湿原には本種が多く生息していると推察されることから、本種に取って一番重要な場所は守られ、かつ住民の方には住宅などへの被害が無かったという結果になりました。さらに、住民の方には、希少種の保全に悪いイメージを抱かせることも無かったという結果になりました。一歩間違えれば、嶮暮帰島のトウキョウトガリネズミの個体群は守られたかもしれませんが、霧多布湿原と海岸の生息地に壊滅的な打撃と悪いイメージだけが残り、希少種の保全などとは言えない状態になっていた可能性もあったと考えますとりますと、改めて希少種の保全活動するということの責任の重大さに恐ろしささえ感じました。

 

東日本大震災の津波で得た希少種保護に関する教訓 その1

私は、長年環境保全とか希少種保護ということに携わってきました。東日本大震災の津波は、私に取って「希少種を守るということとは」という観点で、とても重要かつ複雑な体験し、現在の活動の教訓としていることがあります。

10年前の私は、浜中町で霧多布湿原センターの館長をさせていただいていました。当時は浜中町の準避難所に指定されていました。揺れが収まったので、すぐに避難者を受け入れる準備を職員と手分けして開始しましたが、あっという間に続々と人が集まってきました。

霧多布湿原センターは、海から約3km離れた霧多布湿原の端の標高約20mに建っています。避難場所としては、とても近い場所にあることと、漁家さんは海の状況を確認していたいというのもあるのでしょう、海が良く見える展望ホールのある霧多布湿原センターに集まって来られました。多くの人が海の状況を見守っていました。湿原センターから約5km先にある嶮暮帰島も良く見えます。一番大きな津波が来る前には、地元の方も「嶮暮帰島の周りの海水がこれまでに見たこともないほど異常に引いている」と言い合っていました。幸い、霧多布湿原センター周辺の仲の浜、琵琶瀬地区では、津波が堤防を越えることもなく、堤防外の内陸では被害はありませんでした。実は、この地区の堤防は震災が起こる11日前の2月末に、堤防の嵩上げ工事が終了したばかりでした。あとで、役場の方に聞いた話では、嵩上げしていなかったら堤防を津波は越えていたそうです。

霧多布湿原センター
霧多布湿原センターの展望ホールからの嶮暮帰島(秋)

トウキョウトガリネズミが棲む嶮暮帰島の話 これまでの話の位置関係について

嶮暮帰島の大きさや北海道本島との位置関係について、まとめたものを掲載していなかったことに気づきました。嶮暮帰島については、HP内に紹介ページを作るつもりでいたのですが、忘れていました。そこで、今日は一端これまでのまとめです。

嶮暮帰島の北海道本島の位置関係と津波の予測軌跡
津波が来た方向と津波を被った範囲
津波の前後の比較

トウキョウトガリネズミが棲む嶮暮帰島の話 翌年の嶮暮帰島はウミネコの糞で別の島に変貌する

翌年の2012年は、嶮暮帰島に6月末と9月中旬に調査に行きました。6月、島についたら写真のようにウミネコが臨戦態勢のようなお出迎えでした。草丈が伸びて、伸び草の下に営巣をしていますので、見た目にはどれくらい多くのウミネコの巣があるかは、写真では判りませんが、ウミネコがいる場所の周辺は足の踏み場もないような状態です。6月はこの部分を避けて、島の台地上に部分で捕獲調査を行いました。

9月になると巣立ちが終わっているのでコロニーは消滅しています。従って、いつもの海岸近くで捕獲調査をするのですが、その年はウミネコの糞が堆積して土ではなく、糞で埋め尽くされてしまい、歩行性昆虫すら確認できないほど環境が変わっていました。数が多いというのは恐ろしいと思いました。まだ2年目なのですが、もう土壌の表面に数センチの糞の層で固められている状況で、環境が全く変わったしまったからです。離島に海鳥のコロニーが形成されるということは、とても良いことだと思っていましたが、実は島の環境へのインパクトはとても大きなものだと知りました。

 

島に上陸したら、距離を取ってはいるが、営巣している場所には近づくなという強い威嚇を感じました。

トウキョウトガリネズミが棲む嶮暮帰島の話 津波がウミネコのコロニーをもたらした

津波が嶮暮帰島を襲った3ヶ月後には、津波に襲われた場所にウミネコのコロニーができました。3年前ほどから嶮暮帰島の台地上部の北側には、ウミネコのコロニーが形成されてきていました。オジロワシが、ウミネコのコロニーに突っ込んで捕食しているところを見たこともあります。

そのコロニーが、突然海岸に移動してきました。トガリネズミの調査のためにテントを張りたいと思っても、そのような場所もほとんどなく、隙間を見つけて無理やりにテントを張りました。2011年の6月の調査はウミネコの子育ての邪魔にならないように、営巣していない場所で行ったので、1頭も捕獲できませんでした。あれだけ密集していたら、トウキョウトガリネズミも近づかないのではと思いました。こちらは、何もしないでじっとしていても、睨まれ続けて、隙あらば糞爆弾を投下してくるというように、常に威嚇され続けられました。友好的な関係を気づきたいと思っても許してくれませんでした。

トウキョウトガリネズミが棲む嶮暮帰島の話 東日本大震災の津波と嶮暮帰島 3 砂州が無くなった

2010年8月(東日本大震災1年前)の砂州の状況 満潮時
2011年5月(東日本大震災直後)の砂州の状況干潮時
2015年9月(東日本大震災4年後)の砂州の状況満潮時
2020年9月(東日本大震災9年後)砂州の状況満潮時

津波が砂州を壊して土砂を浚っていってしまいました。この砂州は、かつては北海道本島と繋がっており、干潮時には歩いた渡れたそうです。嶮暮帰島は、昭和50(1975)年頃までは人が1年を通して住んでいたそうです。島では昆布干しが行われており、浜は干場として使用されていました。昭和20年頃までは、馬車でこの砂州を通って乾燥させた昆布を運んでいたそうです。嶮暮帰島での昆布干しは、重い昆布を船から上げて干場に広げるには、目の前が干場で、高低差が少なく楽だったために使用されていました。しかし、車やユニックなどの器械が普及するとともに、本島に運ぶ手間を考えたら、本島ですべての作業を行う方が効率的ですので、徐々に嶮暮帰島での昆布干しはされなくなりました。

その砂州が東日本大震災の津波で無くなってしましたが、10年経ってもほとんど回復していません。河川や近くの漁港の状況がこれまでと変わったこともあり、土砂が供給されにくくなっていると考えられます。

現在嶮暮帰島は完全に無人島ですが、平成12年(2000)まで夏場だけ1組の夫婦が住んで居ました。私が初めて嶮暮帰島に調査に入ったのは、平成10年(1998)です。したがって、当初の3年間は無人島ではありませんでした。その後、令和2年(2020)まで毎年嶮暮帰島に最低1回は調査に行っており、今年で23年目そして、無人島になって20年目になりました。そして、津波を被って10年目になる今年までの状況を改めて鑑みますと、改めて自然の力は、破壊も回復も力強いと感じます。

季節はずれの換毛3

2021年2月14日換毛に最初に気がついた時
2021年3月4日2週間後の換毛の状況

今日で、季節はずれの換毛に気づいて2週間経ちました。かなり換毛部分が増えましたが、少し進むのが遅い感じがします。過去の観察では10月末頃から始まり、換毛の速い個体は約2週間くらいで、頭部近くまで換毛が進んでいる個体もいました。概ね3週間程度で換毛の完了するのですが、どうなるのでしょうか?

これまで寒い日が続いていましたが、これから段段暖かくなってきます。興味深いです。

トウキョウトガリネズミが棲む嶮暮帰島の話  東日本大震災の津波と嶮暮帰島 2     津波の到達域の見分け方

白くなっているところまで、津波が到達しています。

 

白い草の倒れている方向を確認してください。手前方向に倒れているように見えます。手前方向に倒れているのが、手前方向が海で、そちらに津波が引いていったからついた痕跡です。

 

白い草を目安にするとどこまで津波が到達したかが判ります。

津波の影響を調べるためには、津波がどこまで到達したかを知る必要があります。そのポイントは、下草の倒れている方向です。津波を被ると必ず引き波の影響で、一定方向に倒れるという現状が見られます。したがって、倒れている方向が一定になっているところまでが、津波が来た場所と判断できます。

地形によっては、津波の動きが変化しますので、倒れている方向が異なっているところもありますが、周辺を見回すとどのように津波が移動していったのかが判ります。

写真では、白っぽい草が倒れている範囲が津波が到達した位置を示しています。倒れている草が白っぽいのは、もともと枯れれば白っぽいですが、津波で海水を被っていますので、海水の影響でより白くなっていると考えられます。

写真をよく見ると判りますが、白っぽい草との境を見ると草の倒れている方向が周囲と異なることが判ると思います。このようにして、その線を辿っていくと津波がどこまで来たのか、波はどのように移動して行ったのかが判ってきます。

GPSによる計測ですが(誤差が大きい)、津波の最高到達地点は、標高約15mでした。

ハマナスの枝でわざわざ餌を食べるトウキョウトガリネズミ

最近希に、生きたミルワームを餌箱から持ち出し、わざわざハマナスの枝の上まで運び上げて、そこで食べているという行動が見られます。

今日突然をハマナスの枝に生きたミルワームを運んでいるのを確認しましたので、慌てて、手持ちでEOS80D使って撮影したものです。三脚も使っていないのでぶれていますが、なぜこんなところでわざわざ食べるのか不思議です。