ゆでミルワームを食べたあとの12分後から、再び映像の記録がされていました。それから1分後に草に登り、周りを歩き、更に1分後の水を飲み、突然土を掘り始めるという行動を取りました。
約25分間で6回記録されており、12分間の休みを考慮すると、約2分に1度程度は自動撮影カメラに記録されている様です。
ゆでミルワームを食べたあとの12分後から、再び映像の記録がされていました。それから1分後に草に登り、周りを歩き、更に1分後の水を飲み、突然土を掘り始めるという行動を取りました。
約25分間で6回記録されており、12分間の休みを考慮すると、約2分に1度程度は自動撮影カメラに記録されている様です。
1時間33分ぶりに、トウキョウトガリネズミが餌入れから生きたミルワームを運びだし、多分食べたと思われる記録が写っていました。その間記録数は33回になります、
前回の23:37に穴を掘ったあと、21分間後の23:58までは草を登ったり、流木や周辺をうろうろしていたりしていました。その間記録回数は23回です。23:58から0:25まで27分間は記録されていませんでした。多分、巣の中で休んでいたと考えられます。その後0:31の間に10回しか記録されていませんでした。二時間以内で食べているようです。そうなると次は2:00か2:30頃になる可能性が高いと思われます。さて、どうなるでしょうか。
前回2020/8/18 23:35から2分後の映像です。この間2回の映像が記録されていて、流木や中央にある草に登っていたり、周囲を歩いて画面から消えていたりしましたが、23:37分に、映像の様に突然土を掘り出しました。
土の色からすると餌替えの時に水が少量こぼした場所のようです。突然掘り始めましたが、何も成果を得られていないようですが、やめてしましたました。
自動撮影装置は、トロフィーカムXLT30MPを使用していて、トリガースピードは0.2秒で、1回の撮影時間は30秒に設定しています。
昨日の2020/8/18 22:58から37分後の映像です。この間に2回映像が記録されていますが、23:00以降約35分間映像が記録されていませんでした。飼育ケースの一部が写っていない場所もありますが、巣箱しか置いてありません。したがって、約35分間外では活動せず巣箱内にいたと思われます。22:58に餌を食べてから、現在まで食べていません。
久々にトウキョウトガリネズミの話に戻ります。これから少し、飼育小屋で飼育されているトウキョウトガリネズミの自動撮影装置に記録された行動を紹介したいと思います。
飼育小屋を建てるまでは、書斎の一角で飼育していました。したがって、私の生活が影響を与えていたと推察されます。しかし、飼育小屋に移動させてからは、人間の影響を受けるのは最小限になりましたので、より自然な行動に近いと考えています・・・。
この映像は、餌を入れているケースから餌を取ろうとして、バランスを崩した。その後、その場所で食べずに、流木の下まで持って行き、そこで食べたという行動です。
餌を入れているケースが少し大きく、高さ(深さ)もありますので、餌までの距離が意外と遠かったのでしょう。バランスを崩したようです。餌を餌箱から取りだして、その場で食べることも結構見ますが、今回は外敵から狙われないようにか、流木の下まで持って行って食べていました。夜間ですので、捕食者は少ないと思いますが、やはりフクロウを気にしているのでしょうか?
この場所で飼育されて、2週間ほど経過しているので鳥の気配が無いことにも気がついているかと思いますが、油断はみられません。これが本来の姿のなのかもしれません。納得できる行動です。
東日本大震災から10年目ということで、嶮暮帰島について思いつくことを書いてきました。合わせて、気がついたら嶮暮帰島に通い初めてから20年を超えていることを改めて認識しました。しかし、意外と嶮暮帰島の変化についてまとめていなかったことと、記録もあまりしっかり取っていなかったことに気づきましたので、資料を整理しようと思ったのがきっかけでした。この22年間、嶮暮帰島に行かなかった年はありませんでしたが、いつも、調査準備に疲れ、現地では時間が足りなく、睡眠不足で、とんぼ返りで自宅にもどりトガリネズミの飼育と仕事するということが恒例になっており、とにかくトガリネズミ調査以外の調査は基本的には行って来なかったのも事実です。しったがって、トガリネズミ以外の島の記録が曖昧なところも多いことが判りました。
改めて整理していて気づきました。津波の話から始めましたので、また重要なことを書いていなかったことです。上の図が、嶮暮帰島の主な鳥類と哺乳類が一番数多く生息している場所のイメージ図です。これをもっと早くアップしておくべきでした。嶮暮帰島のイメージが全く無い状態でのこれまでの話はわかりにくかったと反省しました。
図の左側は外海で、右側は琵琶瀬湾になります。エゾヤチネズミとオオアシトガリネズミは台地の上部にも、またトウキョウトガリネズミがいる琵琶瀬湾側の海岸線にいますが、この2種が多いのは台地上の上部になります。
浜中町は、60年前のチリ沖地震で津波を被っています。霧多布湿原の中央に(海岸から1.5km程)朽ちた船があるのは、この津波で海から流されて来たからだと聞いています。すなわち、60年前には津波を被って一度リセットされましたが、それからの40年間で、海岸までトウキョウトガリネズミの生息域が拡大したことになります。以前の堤防は低く、人間も簡単に登り降りできるものでしたので、本種も霧多布湿原との往来は比較的簡単にできたのかもしれません。本来、高潮で波を被る可能性のある場所であることから、その生息地は何回も壊滅的な打撃を受けていたと推察されます。しかし、そこに本種の個体群が維持されていたということは、霧多布湿原から本種が何度も海岸まで移動して来たと考えるのが自然です。新しい堤防はかなり高く反っているため、本種が堤防を越えて海岸まで再び進出するのかは判りませんが、霧多布湿原に本種の個体群が存続し続ければ、再び海岸でも本種の生息地が形成される可能性があることになります。
以上のことから、私が教訓としているのは、「目先の生息地の保全だけを考えていたら、2つの重要なもの失う。」ということです。 それは、「住民の信頼と協力」 と「その希少種にとって、一番重要な生息地」ということです。
希少種を守るためには、住民の協力無しにはできません。さらに、状況によっては、住民にとって、不自由さや経済的影響を受け入れてもらわざるを得ないことも生じます。しかし、それを受け入れてもらえるのも信頼関係が成立したからこそです。したがって、保全を主張する側は、地域の状況をできるだけ考慮した上で、保全方法を提案する責任があると考えます。
トウキョウトガリネズミの研究をしていますと、「生息地の保護が必要ですよね。保護運動はしないのですか。」という趣旨の質問を度々されます。しかし、私はこれまで生息地の保護ということを前面に出して活動はしてきませんでした。それは、「希少種=守る必要がある=見つけた生息地を守れ」という、短絡的な思考では本当には守れないと考えているからです。それは、この教訓によるものです。
私は普段から環境アセスメントや地域づくりになどに関わっていますが、現状はかなりかけ離れています。その話については、別の機会にしたいと思います。
自然災害で命を失うのは、人間も野生生物も同じです。人間の命を守ることが、野生生物の命も守ることにも繋がるということも視野に入れて、環境保全は検討されることも重要だと考えます。私は、この一面も大切したいと思って活動しています。
改めて、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
東日本大震災の津波から守ってくれたこの嵩上げした堤防の工事で、実は堤防内(海側)にあったトウキョウトガリネズミの生息地がすべて失われてしまいました。この場所は、本種を生きて捕獲できるきっかけになった場所です。細かい経緯は省略しますが、とにかく希少種である本種の生息地が破壊されるということで、新聞記事にしないかと言われたこともあったのですが、その時はとにかく記事にすることは良くないと思い、記事にしないように頼みました。その後も堤防工事で失われていく生息地を時々見ても他人に言うことはありませんでした。正直、当時は確固たる考えがあった訳でもなく、人命がかかっていることですので、なんとなく今回はその方が良いと思っただけでした。
避難所の対応は3日ほどで終了し、その後所属団体の方針もあり、5月には気仙沼に1週間程度のボランティア活動もさせていただきました。気仙沼は、本当に目を疑うような光景でしたし、陸前高田の状態はあまりにも想像を超えており、映画の世界みたいで、正直感情が全くわかない不思議な感じでした。その後、これらの状況が少しずつ自分の中で整理されてきたときに、突然ぞっとする気持ちに襲われました。
それは、もし堤防の嵩上げ工事に注文をつけて工事が遅れていたら、浜中町民にトウキョウトガリネズミの話をすることはもちろん、生息地の保全などと言っても絶対受け入れてもらえなくなってしまったでしょう。引いては野生生物の保護という行為自体も拒否されてしまうことになっていたかもしれないと思うと正直ぞっとしました。
どちらにしても、堤防工事で失われたトウキョウトガリネズミの生息地は津波でも失われたでしょう。また、津波は堤防で跳ね返されたため、本来あり得ないほどの範囲で津波が嶮暮帰島を襲い、本種の生息地にも大きな影響を与えました。しかし、嶮暮帰島の生息個体数は徐々に回復傾向にあると推察され、壊滅的な打撃を受けたわけではありませんでした。そして、捕獲は希ですが、霧多布湿原には本種が多く生息していると推察されることから、本種に取って一番重要な場所は守られ、かつ住民の方には住宅などへの被害が無かったという結果になりました。さらに、住民の方には、希少種の保全に悪いイメージを抱かせることも無かったという結果になりました。一歩間違えれば、嶮暮帰島のトウキョウトガリネズミの個体群は守られたかもしれませんが、霧多布湿原と海岸の生息地に壊滅的な打撃と悪いイメージだけが残り、希少種の保全などとは言えない状態になっていた可能性もあったと考えますとりますと、改めて希少種の保全活動するということの責任の重大さに恐ろしささえ感じました。
私は、長年環境保全とか希少種保護ということに携わってきました。東日本大震災の津波は、私に取って「希少種を守るということとは」という観点で、とても重要かつ複雑な体験し、現在の活動の教訓としていることがあります。
10年前の私は、浜中町で霧多布湿原センターの館長をさせていただいていました。当時は浜中町の準避難所に指定されていました。揺れが収まったので、すぐに避難者を受け入れる準備を職員と手分けして開始しましたが、あっという間に続々と人が集まってきました。
霧多布湿原センターは、海から約3km離れた霧多布湿原の端の標高約20mに建っています。避難場所としては、とても近い場所にあることと、漁家さんは海の状況を確認していたいというのもあるのでしょう、海が良く見える展望ホールのある霧多布湿原センターに集まって来られました。多くの人が海の状況を見守っていました。湿原センターから約5km先にある嶮暮帰島も良く見えます。一番大きな津波が来る前には、地元の方も「嶮暮帰島の周りの海水がこれまでに見たこともないほど異常に引いている」と言い合っていました。幸い、霧多布湿原センター周辺の仲の浜、琵琶瀬地区では、津波が堤防を越えることもなく、堤防外の内陸では被害はありませんでした。実は、この地区の堤防は震災が起こる11日前の2月末に、堤防の嵩上げ工事が終了したばかりでした。あとで、役場の方に聞いた話では、嵩上げしていなかったら堤防を津波は越えていたそうです。