ヒメチ”ネズミからトガリネズミの変更であれば「ホーカーヒメチ”ネズミ」から「ホーカートガリネズミ」でも十分であったはずである。しかし、そうしなかったのは、人名を入れない新しいネーミングを求めたからと推察される。それは、トーマスヒメチ”ネズミをヒメトガリネズミに名称変更したことにも見てとれる。
当時トウキョウトガリネズミは1個体しか捕獲されておらず、模式標本は国内になかった。すわち情報は、岸田の哺乳類動物図解に書かれたものしかなったのである。したがって、和名を全く新しくつけるとすると地名、東京を選ばざるを得なかったということであろう。
そこで、YezoとYedoの間違いからトウキョウトガリネズミになったという通説に繋がるのであるが、これについては阿部永(1961)の論文が基になり、その後色々と要約されてYezoとYedoの間違いということに単純化されている。その部分を引用すると以下ようになっている。
「本種は極めて小形のトガリネズミで,1903年Hawker氏が江戸犬川に一頭を採集
しThomas(1907)が記載発表したものであるが,その後本邦では全く採集されず,し
かも東京附近に犬川なる地名のないことなどから疑問の多い種である。この頃は江戸が東京になって既に30年以上も経ているのでyedoと云うのは少しおかしいし、またかりにこれがyesoの間違いであるとしても、同様にそれも既に北海道と云われており,Thomasも同報告の中でHokkaidoと云う言葉を使っているので,これにもやはり難点がある。しかもThomasはInukawa,Yedo,HondoとHondoを入れている(これは後からつけ加えたのかも知れないが)ので益々むづかしい。なお北海道にもInukawaなる地名はないが,担振地方にあるmukawaの頭文字筆記体のmをlnと読み違えてのではないかとも考えられるがどうであろうか。結局この問題は採集者であるR. Mcd. Hawker氏の日本での足取りを知る以外に解決の方法はなさそうである。」
やはりいくら検討しても、最終的にはHawkerの日本での足取りが未だに解らないので結論はでない。しかし、上記に書かれている内容について色々と思いを巡らせてみたい。
(引用文献)阿部永(1961) 北海道にて採集された稀種オヒキコウモリ及びトウキョウトガリネズミについて 哺乳動物学雑誌 vol2. no1:3-7.