津波が砂州を壊して土砂を浚っていってしまいました。この砂州は、かつては北海道本島と繋がっており、干潮時には歩いた渡れたそうです。嶮暮帰島は、昭和50(1975)年頃までは人が1年を通して住んでいたそうです。島では昆布干しが行われており、浜は干場として使用されていました。昭和20年頃までは、馬車でこの砂州を通って乾燥させた昆布を運んでいたそうです。嶮暮帰島での昆布干しは、重い昆布を船から上げて干場に広げるには、目の前が干場で、高低差が少なく楽だったために使用されていました。しかし、車やユニックなどの器械が普及するとともに、本島に運ぶ手間を考えたら、本島ですべての作業を行う方が効率的ですので、徐々に嶮暮帰島での昆布干しはされなくなりました。
その砂州が東日本大震災の津波で無くなってしましたが、10年経ってもほとんど回復していません。河川や近くの漁港の状況がこれまでと変わったこともあり、土砂が供給されにくくなっていると考えられます。
現在嶮暮帰島は完全に無人島ですが、平成12年(2000)まで夏場だけ1組の夫婦が住んで居ました。私が初めて嶮暮帰島に調査に入ったのは、平成10年(1998)です。したがって、当初の3年間は無人島ではありませんでした。その後、令和2年(2020)まで毎年嶮暮帰島に最低1回は調査に行っており、今年で23年目そして、無人島になって20年目になりました。そして、津波を被って10年目になる今年までの状況を改めて鑑みますと、改めて自然の力は、破壊も回復も力強いと感じます。